はじめに
このページを見ているということは皆さん…
さぞかし『緘黙症を治したい!』思っていることでしょう
そんな皆さんに朗報です
今回特別に…!
緘黙症の治し方の極意をお教えしたいと思います…
緘黙症の治し方の極意…
それは…!
「緘黙症を治そうとしないこと」
です!!
矛盾しとるやんけ!怒るぞ!
無理に治そうしない方がかえって良くなることもある
要はそういうことですね、はい。
僕も緘黙症が治ったわけではないので偉そうなことは言えませんが
「緘黙症を治そうと必死だった」昔より
「緘黙症を治そうとしない」今の方が
症状が軽くなった、気持ちがラクになったと感じています
そこで今回は、僕が「緘黙症を治そうとしない」方が良いと思う理由を書いていこうと思います
※僕は専門家でも何でもないので、個人の考えとして気軽に読んでくださいね
よろしく!!
理由その1 家族や仲の良い人とは普通に話せるから
まずは、これですね
現時点で話せる人・話しやすい人がいたら、その人たちとたくさん話しましょう
僕は無理に色々な人と話そうとして
- 頑張って話をした結果、疲れる
- 楽しくない
- 上手く会話が出来てもその場限り
- 上手く会話が出来てもいざという時にはぼっち
という状況に陥りました
そもそも、なんで話せるようになりたいのか?を考えてみた時に
僕の場合は『仲の良い友達作りたい』『ぼっちになりたくないから』という理由だったんですよね
でも、頑張って上辺だけの会話をしても、これらの願いは叶えられませんでした
本末転倒ってやつですね
だから、自分が話したいと思える相手とだけ気兼ねなく話すようにしました
そうすることで、結果的に他の人とも自然体で話すことが出来るようになりました
理由その2 年齢(時間)とともに気にならなくなるから
おしぼりで顔を拭くおじさんいるじゃないですか
あれって周りの目を全く気にしてませんよね
あれを通称『おしぼりおじさんの法則』と呼びます(今考えました)
若い時に出来なかったことが、おじさん・おばさんになると急に出来たりします
『男子トイレおばさんの法則』でも可。
僕は視線恐怖症で服を買いに行くことが出来ませんでしたが、2、3年前から普通に服を買いに行けるようになりました(1人は無理なので同伴者がいる時だけですが…)
それも何をした訳でもなく、気づいたらなんとなく行けるようになっていたんですよね
不思議。
昔あんなに頑張っていたのは、ただのストレスにしかなっていなかったんだと気づかされました
将来を悲観してはいけないよ!
理由その3 環境が変わると意外と喋らなくても良いから(※逆パターンもあるので注意)
学校は集団生活をする場のため、ぼっちはかなり辛いと思います
でも、社会人になると人間関係が希薄になるので必要最低限の会話だけで済んだりします
ただ、これは職種にもよるので、営業のような会話メインの仕事だと逆にキツイと思います
理由その4 緘黙症であることが自分のアイデンティティになるから
僕がブログを始めた理由の1つに『誰かの役に立てることをしたい』というものがあります
しかし何の取り柄もない世間知らずでだめ人間な僕が人様の役に立つ方法が見つかりませんでした
そんな時に、『自分の過去の経験を話すことで、同じ境遇の人に少しでも悲しみや不安を軽減してもらえるんじゃないか?』と思い立ちしました
これは僕が緘黙症でなければ出なかった発想です
実際に、このブログが今後誰かの役に立つかどうかはわかりません。
ただ、僕が緘黙症であることが、ブログを書くきっかけとなっているというのは事実です!
要は何が言いたいかというと
ある意味緘黙症で良かったなと思える瞬間も、あるということです
また、こういうネットなどを通して、同じ症状の人と関わり合えるというメリットもあるのではないかと思いました!
まとめ
繰り返しますが、この記事は僕の個人的な考えを書いたに過ぎません
心に余裕がなかったり、生活に支障がある場合は無理せず病院受診・薬の使用なども視野に入れてみてください
無理はしないでね!
おまけ
緘黙症の治し方ではないですが、不安を軽減するための『認知行動療法のやり方』も記事にしてみました
もし良かったらご覧下さい!
コメント